アメリカでのアルバム売上データ(4)
引き続き1990年代のデータ。
トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティック 85万枚(2枚組60万セット+ハイライツ25万枚)
公式海賊盤 35万枚
Choba B CCCP 20万枚
オフ・ザ・グラウンド 52万枚
ポール・イズ・ライヴ 25万枚
フレイミング・パイ 80万枚
ラン・デヴィル・ラン 28万枚
合計325万枚
90年代に入ってさらにアメリカでのアルバムセールスは下降し、トータルでの売り上げは80年代(652万枚)の約半分にとどまった。
100万枚を超えるミリオンセラーも1枚も出ていない。またオリジナルアルバムも10年間で『オフ・ザ・グラウンド』と『フレイミング・パイ』の2枚のみ。この時期ワールドツアーやクラシック音楽への参入はあったとはいえ、やはりオリジナルアルバムの発売間隔が長くなってしまったことはセールスの下降に拍車をかける結果をもたらしたといえる。オリジナルアルバムの隙間を埋める形で発表されたライヴアルバム、カバーアルバムの数々も『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティック』以外はポール・マッカートニーというビッグネームにはほど遠いセールスばかりだ(このあたり、やはりキャピトルのプロモーションが足りなかったのではないか、という疑惑は拭いきれない)。
ともあれ、ライヴ活動で華々しいカムバックを果たしたポールも、主戦場といえるアメリカでの「セールスだけ」にフォーカスすれば90年代は完全にスランプに陥っていたといえるだろう。だからこそ『フレイミング・パイ』というアルバムが100万倍の意味をもって輝きを放つのである。もしあのアルバムがなかったら、ポールの音楽人生は今とはまったく違ったものになっていたであろう。
ポールがポールに戻ったアルバム。そしてそれを周囲も認め、セールス的にも内容的にも結果を出せたアルバム、それが『フレイミング・パイ』というアルバムなのである。残念ながらミリオンには届かなかったが、アメリカでも最高位2位を記録した意味はとてつもなく大きい。そして、この流れは2000年代に引き継がれ、新たな黄金時代へと繋がってゆくのである。(続く)
参考:フレイミング・パイ(Amazonデジタルミュージック)
トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティック 85万枚(2枚組60万セット+ハイライツ25万枚)
公式海賊盤 35万枚
Choba B CCCP 20万枚
オフ・ザ・グラウンド 52万枚
ポール・イズ・ライヴ 25万枚
フレイミング・パイ 80万枚
ラン・デヴィル・ラン 28万枚
合計325万枚
90年代に入ってさらにアメリカでのアルバムセールスは下降し、トータルでの売り上げは80年代(652万枚)の約半分にとどまった。
100万枚を超えるミリオンセラーも1枚も出ていない。またオリジナルアルバムも10年間で『オフ・ザ・グラウンド』と『フレイミング・パイ』の2枚のみ。この時期ワールドツアーやクラシック音楽への参入はあったとはいえ、やはりオリジナルアルバムの発売間隔が長くなってしまったことはセールスの下降に拍車をかける結果をもたらしたといえる。オリジナルアルバムの隙間を埋める形で発表されたライヴアルバム、カバーアルバムの数々も『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティック』以外はポール・マッカートニーというビッグネームにはほど遠いセールスばかりだ(このあたり、やはりキャピトルのプロモーションが足りなかったのではないか、という疑惑は拭いきれない)。
ともあれ、ライヴ活動で華々しいカムバックを果たしたポールも、主戦場といえるアメリカでの「セールスだけ」にフォーカスすれば90年代は完全にスランプに陥っていたといえるだろう。だからこそ『フレイミング・パイ』というアルバムが100万倍の意味をもって輝きを放つのである。もしあのアルバムがなかったら、ポールの音楽人生は今とはまったく違ったものになっていたであろう。
ポールがポールに戻ったアルバム。そしてそれを周囲も認め、セールス的にも内容的にも結果を出せたアルバム、それが『フレイミング・パイ』というアルバムなのである。残念ながらミリオンには届かなかったが、アメリカでも最高位2位を記録した意味はとてつもなく大きい。そして、この流れは2000年代に引き継がれ、新たな黄金時代へと繋がってゆくのである。(続く)
参考:フレイミング・パイ(Amazonデジタルミュージック)