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ポールのアルバム:『ラン・デヴィル・ラン(Run Devil Run)』 その2 - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ・・・プラス!PLUS!+!

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ポールのアルバム:『ラン・デヴィル・ラン(Run Devil Run)』 その2

アルバムの内容に入る前にもう少しこのアルバムが制作された背景について確認しておこう。

『ラン・デヴィル・ラン』は愛妻リンダ亡きあとに初めて発表されたアルバムである(ファイアーマンは除く)。つまり、ポールにとっては単に音楽のみならず彼の人生において最大の危機ともいえる状況を経て生み出された作品なのである。リンダが亡くなった衝撃と影響の大きさについてはけっして第三者にはわからないだろう。リンダはビートルズ解散直前から1998年に乳がんで亡くなるまで、実に30年もの長きに渡って公私の両面でポールをサポートし続けた。

リンダはポールにとって「もう一つの最大の危機」であったビートルズ解散からポールを立ち直らせ、ファンや批評家たちから多くの非難を浴びながらもウイングスのメンバーの一員となる道を選んだ。これはただただポールを陰から支えるためであった。それほど当時のポールにはリンダという存在が必要だったわけだが、彼女が果たした役割というのは誇張抜きに観音様か、はたまたマリア様のような「無償の愛のかたまり」のようなものであったと僕は思う。なにしろ音楽的にはほとんどシロウトの一般人が世界最高のミュージシャンのバンドに加入するのである。並の人間であれば足が震えてステージに立つことさえ不可能だろう。普通に考えればまず絶対にあり得ないことだ。だが、ポールとリンダはそのあり得ないことを行動に移し、実際に成功させてしまったのだった。これは音楽史に残るひとつの奇跡であり、偉業である。

ここから先はかなり突拍子もない解釈になるかもしれないが、話半分で聞いていただきたい(あくまで個人の独断的な解釈です)。
ポール自身気付いていなかったかもしれない・・・だが、『レット・イット・ビー』の聖母マリア(mother Mary)とは実はリンダの事だったのではないか。つまりあの曲はビートルズ解散という未来をポール自身が予言(予見)した曲だったのではないかと僕には思えるのである。(実際にリンダがこの曲のレコーディングに参加しているのも単なる偶然とは思えない)
さらにオカルト的な解釈をするなら、リンダは不世出の天才ミュージシャン、ポール・マッカートニーを支えるために天から遣わされた観音様のような存在だったのかもしれない。

話が予想外に脱線してしまったが(笑)、アルバム制作の背景に話を戻そう。
『ラン・デヴィル・ラン』発売までの経緯を時系列で見ると以下のようになる。

1997年5月 アルバム『フレイミング・パイ』発売

1998年4月 リンダ、アリゾナの農園にて死去(享年56才)

1999年10月 アルバム『ラン・デヴィル・ラン』発売

アルバム『フレイミング・パイ』の成功ののち、ポールはクラシック作品『スタンディング・ストーン』を1997年9月に、ファイアーマン名義のアルバム『ラッシズ』を1998年9月にそれぞれ発売しているが、レコーディングはいずれもリンダが亡くなる前に行なっている。

そして『ラン・デヴィル・ラン』のレコーディングを始めたのが1999年3月。ポールは実に丸1年近くも完全に音楽活動から離れていたことになる。言葉を代えれば喪に服していたともいえるが、この間ポールは毎日泣いて過ごしていたとも、1度も歌を歌わなかったとも伝えられている。

そんなポールが活動を再開するきっかけとなったのが、リンダが生前ポールに語っていた「ビートルズではやらなかったロックンロールをやってみれば」という言葉だった。そして彼は再び立ち上がるのである。

ゆえにアルバム『ラン・デヴィル・ラン』はポールの音楽人生にとって極めて重要なターニングポイントとなる作品なのである。そう思ってこのアルバムを聴くだけでも、きっとこのアルバムに対する思いが変化するにちがいない。

余談ながら、英語版ウィキペディアの情報を元に、アルバムジャケットに使用されたドラッグストアをグーグルストリートビューで見つけることができたので紹介しておこう。
場所はアメリカ、ジョージア州アトランタのブロードストリート(笑)である。

rdr.jpg

次回はアルバムの内容について見ていこう。

参考:
ラン・デヴィル・ラン(CD)
ラン・デヴィル・ラン(MP3)

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