ニューアルバム寸評 その4
ご存知の通り、ポール自身が有能なプロデューサーである。
実際名作“Band on the Run”はポール自身がプロデュースしたものだし、あまり話題には上らないが、“Wings at the Speed of Sound”や“London Town”のプロデュースはかなりの腕前だと個人的には思っている。
つまり並のアルバム作りなら、セルフプロデュースで完全に事足りるのだ。
わざわざ金を払ってまでプロデューサーを雇う必要など全くない。
過去の例を見ても、クリス・トーマスやヒュー・パジャムなど一流のプロデューサーを起用したからといって、必ずしもいい作品に繋がっているわけではない。
だから今回プロデューサーにナイジェル・ゴドリッチを迎えたからといって、成功に結びつくという保証は全くなかったはずだ。ただ一つジョージ・マーティンが彼を推薦したという事実を除いては…。
自らが既にプロデューサー職を引退したとはいえ、マーティンの人を見る目はさすがである。5人目のビートルはまた一つ影で大きな仕事をやってのけた。「ケイオス」は彼の助言なしには生まれなかったかもしれない。
アルバム全体を通して感じられるのは、不思議な安定感とぴんと張りつめたような独特の空気、そして透明感である。僕はどうしても“Abbey Road”と“White Album”を思い起こしてしまう。
ポールの声もそうだが、楽器の音、特にギターのソリッドな音が前面に出てきているように感じられる。左右のチャンネルにバランス良く音が振り分けられていて、なおかつ階層がかなり深いため、耳がどこまでも音を追いかけてしまう。
聴くたびに新しい発見があるように感じられるところは、まさしくビートルズ的と言えるだろう。非常に味のあるアルバムに仕上がっている。
天下のポール・マッカートニーに臆面もなく意見するプロデューサーというから、さぞかし鋭い感じのする人だろうと思っていたが、DVDを観るかぎり割と普通の人だった。けっこう優しそうな感じである。
いずれにしろ凄いプロデューサーであることに違いはない。
ポールの創造性に再び火をつけたナイジェル・ゴドリッチの偉業に僕はただひれ伏し、敬意を表するのみである。
実際名作“Band on the Run”はポール自身がプロデュースしたものだし、あまり話題には上らないが、“Wings at the Speed of Sound”や“London Town”のプロデュースはかなりの腕前だと個人的には思っている。
つまり並のアルバム作りなら、セルフプロデュースで完全に事足りるのだ。
わざわざ金を払ってまでプロデューサーを雇う必要など全くない。
過去の例を見ても、クリス・トーマスやヒュー・パジャムなど一流のプロデューサーを起用したからといって、必ずしもいい作品に繋がっているわけではない。
だから今回プロデューサーにナイジェル・ゴドリッチを迎えたからといって、成功に結びつくという保証は全くなかったはずだ。ただ一つジョージ・マーティンが彼を推薦したという事実を除いては…。
自らが既にプロデューサー職を引退したとはいえ、マーティンの人を見る目はさすがである。5人目のビートルはまた一つ影で大きな仕事をやってのけた。「ケイオス」は彼の助言なしには生まれなかったかもしれない。
アルバム全体を通して感じられるのは、不思議な安定感とぴんと張りつめたような独特の空気、そして透明感である。僕はどうしても“Abbey Road”と“White Album”を思い起こしてしまう。
ポールの声もそうだが、楽器の音、特にギターのソリッドな音が前面に出てきているように感じられる。左右のチャンネルにバランス良く音が振り分けられていて、なおかつ階層がかなり深いため、耳がどこまでも音を追いかけてしまう。
聴くたびに新しい発見があるように感じられるところは、まさしくビートルズ的と言えるだろう。非常に味のあるアルバムに仕上がっている。
天下のポール・マッカートニーに臆面もなく意見するプロデューサーというから、さぞかし鋭い感じのする人だろうと思っていたが、DVDを観るかぎり割と普通の人だった。けっこう優しそうな感じである。
いずれにしろ凄いプロデューサーであることに違いはない。
ポールの創造性に再び火をつけたナイジェル・ゴドリッチの偉業に僕はただひれ伏し、敬意を表するのみである。
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