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美しき息子よ

ジョンが亡くなったとき、息子のショーン君は当時わずか5才だった。はからずも遺作となってしまったアルバム『ダブル・ファンタジー』で、ジョンは愛するショーン君に捧げる歌『ビューティフル・ボーイ』を発表している。

『ビューティフル・ボーイ』はジョンが作った曲の中で、おそらく最も優しさと、愛と、幸福感にあふれた曲だと思う。だが、歌詞をあまり重視しない僕にとっては、この曲はジョンが作った曲の中ではまあ普通の部類かなというのが長年の個人的な評価だった。特に自分が実際に子供を持つまでは、この曲の本当の良さが理解できなかったのである。

だが今ではわかる。ジョンがショーンと共に過ごした時間というのがいかに貴重で、すばらしいものであったのかを。たった5年間という時間ではあったが、それはジョンの人生にとって最も幸せな時期であったにちがいない。なぜなら、僕自身息子が生まれてからというもの、彼の存在を通して自分の人生がまさに一変してしまったからである。僕の息子は今6才だが、今のうちに僕のこの思いを、ジョンが残したこの美しい曲への思いと共に言葉にして記録しておきたいと思う。

ジョンの死に関しては、とかく愛妻ヨーコさんとの関係が語られることが多いようだが、僕はジョンの胸中に最後まで去来していたのは幼いショーン君への思いだったと思う。

息子が自分を一番必要としている今この時期に、なぜ自分はこの世を去らなくてはならないのか。自分がどんな悪いことをしたというのか。もう一度息子を抱きしめたい、手をつなぎたい、いろんなことを教えてやりたい、そして彼と笑い合いたい…。このままでは死んでも死にきれない…。同じ年頃の子供を持つ親となった今、僕には痛いほどにジョンの気持ちがわかる。

人生は時に残酷で不条理である。子供を大切にする親が殺され、子供や妻を捨てるような男が長生きする。なぜ…、なぜ…。答えは出ない。だが、僕たちはこの不条理という海の中で絶望することなく自分なりに精一杯生きなくてはならない。

暗闇の中にも光を見よう。

驚くべきことは、ジョンがショーン君が生まれた瞬間に大好きな音楽さえもやめて自ら主夫(ハウス・ハズバンド)になるという選択をしたことである(そしてその選択は正しかった)。そのおかげで、ジョンは普通の父親が子供と過ごす何倍もの時間をショーン君と共に過ごすことができたのであった。一般的な家庭での父親といえば、そのほとんどの時間を仕事に費やし、平日は子供と触れ合う時間はわずかである。よってそのギャップを休日で埋めようとするものだが、疲れて半日寝ていたり、自分の趣味に時間をかけるなどして、実際には子供といる時間は驚くほど少ない、というのが現実なのかもしれない。近年ではそれもまた変わりつつあるが、1970年代という時代はまだまだ男性が働き、女性は家を守るというパターンが主流だった。

だから、5年間という一見短い期間には見えても、実際にジョンがショーン君と一緒にいた時間というのはひょっとしたら普通の父親の10倍くらいにはなるのかもしれない。しかも、ミルクを飲ませたり、おむつを替えたり、お風呂に入れたりと、その関わり方は普通の父親よりはるかに濃密であったのだからなおさらである。ともかく、こう考えることができるのは一つの救いだ。

ビューティフル・ボーイ…、美しき我が息子よ。ジョンはきっと毎日我が子の美しさにみとれ、驚嘆の念にうたれていたに違いない。というのも僕自身がそうだからである。子供というのは皆美しいものだが、他人の子を遠くから見るのと、自分の子を毎日身近に見るのとは全く違う。その目の輝き、肌のなめらかさ、髪の毛の艶、ちっちゃな身体、かわいいお尻、無垢な笑い声などなど。自分の子でありながら惚れ惚れしてしまうほど完璧に美しい造形物、まさに神が作りし芸術作品とさえ思ってしまう。この自分からよくぞこんなに美しい子が生まれたものだと思う。まさに親バカの極みだが(笑)、ジョンが言う「ビューティフル・ボーイ」の意味を僕は自分の子を持って初めて理解したのだった。美しき我が子よ。ジョンの魂は今も我々と共にある。

参考:ダブル・ファンタジー ストリップト・ダウン

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