FC2ブログ

ポール・マッカートニー:偉大なる50年の軌跡  その12『ポールが作った曲PART3』 - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ・・・プラス!PLUS!+!

Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ・・・プラス!PLUS!+! ホーム » 特集記事 » ポール・マッカートニー:偉大なる50年の軌跡  その12『ポールが作った曲PART3』

ポール・マッカートニー:偉大なる50年の軌跡  その12『ポールが作った曲PART3』

過去2回の集計によれば、ポールは1962年のデビューから最初の20年間で約230曲の曲を世に送り出したという結果が出た(他のアーティストに提供した曲は除く)。今回は引き続き第3期(1982年~1991年、40代)に彼が発表した曲について見ていこう。

【第3期】
1『レインクラウズ』、2『タッグ・オブ・ウォー』、3『テイク・イット・アウェイ』、4『サムバディ・フー・ケアーズ』、5『ホワッツ・ザット・ユアー・ドゥイン』、6『ヒア・トゥデイ』、7『ボールルーム・ダンシング』、8『ザ・パウンド・イズ・シンキング』、9『ワンダーラスト』、10『ゲット・イット』、11『ビー・ホワット・ユー・シー』、12『ドレス・ミー・アップ・アス・ア・ラバー』、13★『エボニー・アンド・アイヴォリー』、14『アイル・ギヴ・ユー・ア・リング』、15『ウィ・オール・スタンド・トゥゲザー』、16『コアラへの詩』、17『パイプス・オブ・ピース』、18★『セイ・セイ・セイ』、19『もう一人の僕』、20『キープ・アンダー・カヴァー』、21『ソー・バッド』、22★『ザ・マン』、23『スウィート・リトル・ショー』、24『アヴェレージ・パーソン』、25★『ヘイ・ヘイ』、26『タッグ・オブ・ピース』、27『ただ愛に生きて』、28『ひとりぼっちのロンリー・ナイト』、29『悲しいバット・ボーイ』、30『ノー・バリュース』、31『ひとりぼっちのロンリー・ナイト(プレイアウト編)』、32『グッドナイト・プリンセス』、33『スパイズ・ライク・アス』、34『マイ・カーニヴァル』、35★『ストラングルホールド』、36『グッド・タイムズ・カミング/フィール・ザ・サン 』、37『トーク・モア・トーク』、38★『フットプリンツ』、39『オンリー・ラヴ・リメインズ』、40『プレス』、40★『プリティ・リトル・ヘッド』、41★『ムーブ・オーヴァー・バスカー』、42★『アングリー』、43★『ハウエヴァー・アブサード』、44★『ライト・アウェイ 』、45『イッツ・ノット・トゥルー』、46★『タフ・オン・ア・タイトロープ』、47『シンプル・アズ・ザット』、48『ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー』、49『バック・オン・マイ・フィート』、50『フライング・トゥ・マイ・ホーム』、51★『マイ・ブレイヴ・フェイス』、52『ラフ・ライド』、53『ユー・ウォント・ハー・トゥー』、54『ディストラクションズ』、55『幸せなる結婚』、56『プット・イット・ゼア』、57『フィギュア・オブ・エイト』、58『ディス・ワン』、59★『ケアレス・ラヴに気をつけて 』、60★『ふりむかないで』、61『ハウ・メニー・ピープル』、62『モーター・オブ・ラヴ』、63『太陽はどこへ?』、64『ラヴリエスト・シング』、65『セイム・タイム・ネクスト・イヤー』、66★『パーティ・パーティ』、67『ザ・ファースト・ストーン』、68『アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール』、69『グッド・サイン』

まず曲数としては全部で69曲という結果が出た。第1期の125曲、第2期の107曲と比べるとかなり曲を書くペースがダウンしたことがわかる。実際に発表された曲を一つ一つ見ていくと、それまでのポールの曲とは一味も二味も違うタイプの曲が含まれていることに気がつく。それまでのメロディアスで、親しみやすく、自然な曲調に比べ、第3期には少しひねりを利かせた、あまり“ポールらしくない”と思えるような曲が増えている。特に1986年のアルバム『プレス・トゥ・プレイ』以降はその傾向が強まっているように思われる。

これには主に2つの理由が考えられる。1つはポールが作曲家としてひとつのスランプを迎えていたのではないか、ということ。最初の20年間はそれこそ泉が湧き出るかのごとくに曲を量産していたポールが、徐々にではあるが以前ほど簡単には曲が書けなくなってしまったのではないか。世紀の大作曲家ポールにもいわゆる「才能の枯渇」というものが着実に忍び寄ってきたのではないかという推測である。そこで彼はさらに作曲の幅を広げるために様々な実験や試行錯誤を繰り返し、それが結果的に作品数の減少と、新たな作風を生んだのかもしれない。
ただこれも普通に考えればごくごく当たり前の話で、すでに200曲以上もの曲を残してきた彼がいわゆるネタ切れに陥ったとしても、それ自体は何の不思議もないのである。むしろそんな状態になっても曲を書き続けたという事実のほうがよほど重要であり、また偉大なことである。ひょっとしたらポールにも音楽活動休止とか、引退という言葉が脳裏をかすめた時期があったかもしれない。しかし、彼は好きな音楽をやり続けることを選択したのである。

2つ目の理由は1つ目とも大いに関係するのだが、そのようなスランプ状態を打破するために、あえて他者との共作という道を模索したということである。これはスティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンに始まり、エリック・スチュワートとエルヴィス・コステロに関してはかなり本格的な共作・共同作業にまで発展してゆくことになる。ポールがそれらの共同作業で大きな刺激を受けたことは間違いなく、それらの時期の作品にはっきりとした作風の違いが認められるのはたしかな事である。

40代の第3期には、ポールは音楽制作の過程において生まれて初めて“産みの苦しみ”とでもいえるものを経験していたのかもしれない。余談ながらこの時期が日本で言ういわゆる厄年と重なっていたというのも興味深い事実である。

なにはともあれ1962年から1991年までの30年間にポールは約300曲の楽曲を作り、世に送り出したということがわかった。つまりここまでは10年に約100曲ずつというハイペースを守っていることになる。ということは50年では約500曲・・・。巨大な数字がいよいよ見えてきた。あとは残り20年間で500曲という数字にどこまで近づけたのかが一つの大きな焦点となるが、このままでは500曲をかなり下回ることはたしかだろう。あとはアーカイブ・コレクションでどれだけ数を上乗せできるのかがますます楽しみになるのである。(続く)

参考:ポール・マッカートニー・アーカイヴ・コレクション


関連記事