ビリー・ジョエル エルトン・ジョンについて語る
はっきりとした統計を出したわけではないが、オールドファンの中でポール・マッカートニーを好きな人は、ビリー・ジョエルも好きな確率が相当に高いのではないだろうか。
その理由は、簡単にいえば音楽的なスタイルが多くの点で似通っていることにあると思う。
かくいう僕もビリー・ジョエルが大好きで、特に“The Stranger
”と“52nd Street
”の2枚は不朽の大傑作アルバムだと思っている。これらのアルバムは、とにかく学生時代から現在に至るまで今までいったい何百回聴いたことかわからない。つい最近も久しぶりに“52nd Street”を通しで聴き、やはり名盤だと唸らされたのであった。
それに比べれば、ポールが好きな人でエルトン・ジョンが好きな人は、それほど多いとは思われない。(残念ながら日本においては海外に比べるとエルトンの格付けはかなり低い)
日本ではポールとビリーの格付けはほぼ同等であり(今は少しポールが上か?)、エルトンは2段階ぐらい落ちるというのが僕の印象である。しかし欧米ではポールとエルトンはほぼ同等の格付けで、ビリーは1段階ないしは2段階落ちるといったところだ。日本と欧米とでは認識にかなり開きがあるのである。
結局何が言いたいかというと、僕にとってエルトン・ジョンはポール、ビリーと並んで特別に好きな、そして大切なアーティストの一人ということだ。
前置きが少々長くなってしまったが、ビリー・ジョエルが今や盟友ともいえるエルトン・ジョンについて語ったインタビューの一部をここにお届けする。このインタビューは2004年にローリングストーン誌に掲載されたものである。(翻訳は自分)
エルトンと初めて会ったのは、オランダ、アムステルダムのホテルだった。それは70年代の半ば、彼がピークを迎えていた頃、まさにエルトンの時代だった。僕はといえば、“ピアノマンの男”としてデビューしたばかりである。僕たちはホテルの一室で話をした。僕がどれほど彼のファンであるかを告げると、彼も僕の曲を知っていると言ってくれた。
これはとんでもないことだと思った。というのも、当時ギタリストならば大勢いたけれど、ピアノ弾きは僕たちたった2人だけだったからだ。イギリスとアメリカのピアノ弾き。ギターだけがロックン・ロールではない。エルトンも僕も、大多数の人と同じように見た目は良くなかったけれど、シンガー・ソング・ライターになるチャンスというのはあった。エルトンが初めて“ブルーソロジー”というバンドに加入した頃は、まさか自分がロックスターになるなどとは夢にも思わなかったそうだ。僕も全く同じ。僕はミック・ジャガーにも、ポール・マッカートニーにも、ジム・モリソンにも似ていない。
たしかに僕たちは有名なロック・バンドのピアノ・プレイヤーになるとは思っていた。でも、おかしなことに彼は変てこなトンボ眼鏡ときちがいじみた服装でブレイクし、僕は間抜けなステージパフォーマンスで有名になった。そして2人共ロック・スターになっていた。今でもそれは僕たちにとって笑い話だ。しかも、彼ときたら走り続けることをやめようとしない。僕はといえば、1993年から1曲も歌を書いていないのだ。エルトンは僕にこう尋ねる、「ビリー、そろそろ新しい曲を作ったらどうだい?」。僕は答える、「エルトン、少しは新曲を書くペースを落としたらどうだい?」。
チケット代に200ドルも払わせておきながら、人々に無理やり新曲を聴かせるわけにはいかない。彼の作品の多くがすばらしいこともたしかであるが、皆が聴きたいのはやはり“ロケット・マン”であり、“クロコダイル・ロック”であり、“ベニーとジェッツ”、“可愛いダンサー”、“ユア・ソング”、“あばずれさんのお帰り”などである。
メロディアスな曲を書く作曲家は皆、究極のメロディーメーカー、エルトン・ジョンに感謝すべきだ。ジョン・メイヤー、ファイブ・フォー・ファイティング、アリシア・キーズ…。くそったれ、新しいバンド名がわからねえ!でも、メロディーが好きなキーボード・プレーヤーならば、誰でもエルトンに首を縦に振ることだろう。コール・ポーター、リチャード・ロジャース、キャロル・キング、そしてビートルズと同じく、彼は美しいメロディーを生み出す伝統を受け継いでいる。

その理由は、簡単にいえば音楽的なスタイルが多くの点で似通っていることにあると思う。
かくいう僕もビリー・ジョエルが大好きで、特に“The Stranger
それに比べれば、ポールが好きな人でエルトン・ジョンが好きな人は、それほど多いとは思われない。(残念ながら日本においては海外に比べるとエルトンの格付けはかなり低い)
日本ではポールとビリーの格付けはほぼ同等であり(今は少しポールが上か?)、エルトンは2段階ぐらい落ちるというのが僕の印象である。しかし欧米ではポールとエルトンはほぼ同等の格付けで、ビリーは1段階ないしは2段階落ちるといったところだ。日本と欧米とでは認識にかなり開きがあるのである。
結局何が言いたいかというと、僕にとってエルトン・ジョンはポール、ビリーと並んで特別に好きな、そして大切なアーティストの一人ということだ。
前置きが少々長くなってしまったが、ビリー・ジョエルが今や盟友ともいえるエルトン・ジョンについて語ったインタビューの一部をここにお届けする。このインタビューは2004年にローリングストーン誌に掲載されたものである。(翻訳は自分)
エルトンと初めて会ったのは、オランダ、アムステルダムのホテルだった。それは70年代の半ば、彼がピークを迎えていた頃、まさにエルトンの時代だった。僕はといえば、“ピアノマンの男”としてデビューしたばかりである。僕たちはホテルの一室で話をした。僕がどれほど彼のファンであるかを告げると、彼も僕の曲を知っていると言ってくれた。
これはとんでもないことだと思った。というのも、当時ギタリストならば大勢いたけれど、ピアノ弾きは僕たちたった2人だけだったからだ。イギリスとアメリカのピアノ弾き。ギターだけがロックン・ロールではない。エルトンも僕も、大多数の人と同じように見た目は良くなかったけれど、シンガー・ソング・ライターになるチャンスというのはあった。エルトンが初めて“ブルーソロジー”というバンドに加入した頃は、まさか自分がロックスターになるなどとは夢にも思わなかったそうだ。僕も全く同じ。僕はミック・ジャガーにも、ポール・マッカートニーにも、ジム・モリソンにも似ていない。
たしかに僕たちは有名なロック・バンドのピアノ・プレイヤーになるとは思っていた。でも、おかしなことに彼は変てこなトンボ眼鏡ときちがいじみた服装でブレイクし、僕は間抜けなステージパフォーマンスで有名になった。そして2人共ロック・スターになっていた。今でもそれは僕たちにとって笑い話だ。しかも、彼ときたら走り続けることをやめようとしない。僕はといえば、1993年から1曲も歌を書いていないのだ。エルトンは僕にこう尋ねる、「ビリー、そろそろ新しい曲を作ったらどうだい?」。僕は答える、「エルトン、少しは新曲を書くペースを落としたらどうだい?」。
チケット代に200ドルも払わせておきながら、人々に無理やり新曲を聴かせるわけにはいかない。彼の作品の多くがすばらしいこともたしかであるが、皆が聴きたいのはやはり“ロケット・マン”であり、“クロコダイル・ロック”であり、“ベニーとジェッツ”、“可愛いダンサー”、“ユア・ソング”、“あばずれさんのお帰り”などである。
メロディアスな曲を書く作曲家は皆、究極のメロディーメーカー、エルトン・ジョンに感謝すべきだ。ジョン・メイヤー、ファイブ・フォー・ファイティング、アリシア・キーズ…。くそったれ、新しいバンド名がわからねえ!でも、メロディーが好きなキーボード・プレーヤーならば、誰でもエルトンに首を縦に振ることだろう。コール・ポーター、リチャード・ロジャース、キャロル・キング、そしてビートルズと同じく、彼は美しいメロディーを生み出す伝統を受け継いでいる。

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