今改めて知るE.L.O.のすごさ
E.L.O.すなわちElectric Light Orchestraは僕にとってポスト・ビートルズを語る上で欠かすことのできないアーティストである。
ビートルズ以降、ビートルズを凌駕するアーティストは未だ出現していないが、だからといって「ビートルズのような」音楽が全く生まれなかったというわけでもない。
ビートルズ後継者という言葉は少々オーバーだとしても、ビートルズ体験にかなり近いものを与えてくれたアーティストは確かにいるにはいるのである。
昔からE.L.O.は、その中でも僕にとっては特別な存在だった。
ジェフ・リンの作り出す魅惑的なサウンドは彼ら独自のものでありながら、同時にビートルズ・ショックを追体験させてくれるような、全身の細胞を目覚めさせてくれるような、そんな新鮮な驚きに満ちていた。
とはいっても、僕が実際に聴いたアルバムは彼らの全盛期の2枚“Out of the Blue
”と“Discovery
”だけであった。この2枚は本当に名盤中の名盤だと思うし、数え切れないほど繰り返し聴いた。だが、それ以外の曲は“Telephone Line”などの大ヒット曲を除いては、それほどまともには聴いていなかったのだ。
そんなわけで、できるだけ広い時代をカバーした彼らのベスト盤の購入を思い立った。
購入したのは“Light Years: The Very Best of Electric Light Orchestra
”。2枚組全38曲の「大作」である。
聴いた感想はというと、いやあ楽しいのなんの!久々に音楽を聴くことの素晴らしさと楽しさを思い出させてもらった気がする。やはりE.L.O.は真に偉大なバンドだった!
E.L.O.の最大の弱点は、ヴィジュアル面での魅力に欠けていたことくらいだろう。そうでなければ、もっともっと成功していたはずだ。
最近では、映画「電車男
」の主題歌に“Twilight”が取り上げられ、秋葉系おたく諸君の間ではちょっとしたE.L.O.ブームが起こったと聞いている。そういえば、ジェフ・リンもどちらかといえばおたく系ではないか(笑)。少なくとも彼が熱烈なビートルズおたくであったことは周知の事実である。
ともかくE.L.O.を再評価しようとする動きがあるのは嬉しいことだ。
ビートルズおたくだったイギリスの一青年がE.L.O.というバンドを立ち上げ、やがて世界中に認められ、とうとう最後はジョージやポールのアルバムに参加する存在にまでになってしまったというのは、これはもう究極のサクセス・ストーリー以外の何物でもないだろう。まったく羨ましいほどの才能である。
ちなみにアンソロジーでビートルズの新曲“Free As a Bird”をプロデュースしたのも彼だ。ジョージ・マーティン以外にビートルズの曲をプロデュースした唯一の男。それがジェフ・リンという人なのだ。
ビートルズ以降、ビートルズを凌駕するアーティストは未だ出現していないが、だからといって「ビートルズのような」音楽が全く生まれなかったというわけでもない。
ビートルズ後継者という言葉は少々オーバーだとしても、ビートルズ体験にかなり近いものを与えてくれたアーティストは確かにいるにはいるのである。
昔からE.L.O.は、その中でも僕にとっては特別な存在だった。
ジェフ・リンの作り出す魅惑的なサウンドは彼ら独自のものでありながら、同時にビートルズ・ショックを追体験させてくれるような、全身の細胞を目覚めさせてくれるような、そんな新鮮な驚きに満ちていた。
とはいっても、僕が実際に聴いたアルバムは彼らの全盛期の2枚“Out of the Blue
そんなわけで、できるだけ広い時代をカバーした彼らのベスト盤の購入を思い立った。
購入したのは“Light Years: The Very Best of Electric Light Orchestra
聴いた感想はというと、いやあ楽しいのなんの!久々に音楽を聴くことの素晴らしさと楽しさを思い出させてもらった気がする。やはりE.L.O.は真に偉大なバンドだった!
E.L.O.の最大の弱点は、ヴィジュアル面での魅力に欠けていたことくらいだろう。そうでなければ、もっともっと成功していたはずだ。
最近では、映画「電車男
ともかくE.L.O.を再評価しようとする動きがあるのは嬉しいことだ。
ビートルズおたくだったイギリスの一青年がE.L.O.というバンドを立ち上げ、やがて世界中に認められ、とうとう最後はジョージやポールのアルバムに参加する存在にまでになってしまったというのは、これはもう究極のサクセス・ストーリー以外の何物でもないだろう。まったく羨ましいほどの才能である。
ちなみにアンソロジーでビートルズの新曲“Free As a Bird”をプロデュースしたのも彼だ。ジョージ・マーティン以外にビートルズの曲をプロデュースした唯一の男。それがジェフ・リンという人なのだ。