1日1枚シリーズ その1『マッカートニー』を聴く
ポールを聴き始めてから、もうかれこれ45年になる。我ながら長く聴いてきたな、長く生きてきたな、などと思う今日この頃である(笑)。しかし、考えてみると45年間ずっと休まずポールだけを集中的に聴き続けてきたというわけでもない。本当にどっぷり浸かるように聴いていたのは20代の頃までで、特に40才を過ぎてからは若い頃のように1枚のアルバムを初めから終わりまで通しで聴くようなことはだんだんと少なくなっていった。
そしてここ数年というもの、僕はアーティストやジャンルを問わず、ただ好きな曲だけをスマホ内に集めてランダム再生するというスタイルにすっかり慣れきってしまっていた。つまり僕はだんだんと1枚のアルバムというものに重きを置かなくなっていたのである。
それに、自分がいいと思う曲だけを寄せ集めて繰り返し聴くというのは単純に気持ちのよい経験であったし、いろんな意味でムダが省けているようにも思われた。そして、そうすることは僕が若い頃に陥りがちだった、ある特定のアーティストに特別な肩入れをするということから僕を解放してくれたようにも思われた。
上記のような経緯を通して、僕はだんだんとビートルズとポール・マッカートニーを自分の中で特別扱いするということやめるようになっていった。これはある意味寂しさを伴うものではあったが、僕はより多くの音楽を柔軟に受け入れることができるようにもなっていった。実際、今僕が日常的に聴いている音楽は、そのほとんどがビートルズやポールとは関係のないものばかりである。
しかし、そんな今だからこそ、改めてフラットな気持ちでポールのアルバムをもう一度初めから最後まで聴き直してみようという気持ちにもなったのである。
と、前置きが長くなってしまったが、これから1日1枚ポールのアルバムを初めから最後まで通しで聴くというシリーズをやっていこうと思う。(といっても、毎日記事をアップするという意味ではない。あくまでも気が向いたら、という意味である)
そして、ポイントはとにかく初めから最後までノンストップでアルバム全体を聴き、その感想を素直に書くというものだ。いったいどんな感想が飛び出すのか。これは自分でも楽しみである。
さて、今日はその第一回目ということで、1970年に発表されたポールのソロアルバム第一弾『マッカートニー』を取り上げる。
このアルバムを最初から最後まで聴くのはおそらくアーカイヴのリマスター盤が出たとき以来だろう。とにかく久しぶりであり、それだけにとても新鮮な気分になった。実は、今回このアルバムを通しで2回も聴いてしまった(笑)。
アルバム全体を通しての印象は、やはり天才のほとばしるような才能がアルバム全体に染み渡っているということである。たとえばビートルズならば没になったであろうような曲であっても、そこには非凡なメロディーやフレーズがあり、ハッとするようなアイデアや小技があり、魅惑的なヴォーカルがあり、深いベースの響きがあり、センス溢れるギターやドラムスの音がある。しかも、それらはいかなる意味でも他の音楽を模倣したものではないし、また追従したものでもない。それはただ彼の存在の核から湧き上がる生粋のオリジナルである。そして、であるがゆえに、マッカートニーミュージックは決して聴く者の耳を捉えて離さないのである。
しかもこの時代にほぼすべての楽器とヴォーカル、そして多重録音を独力で行い、1枚のアルバムとして仕上げるという気の遠くなるような作業・・・。それは凡人には想像することさえ不可能である。おそらくポールの頭の中には予め曲の完成形が出来上がっていたに違いない。そして、もっとすごい事は、このアルバムのどの曲を聴いても、そうと言われなければ全部を一人でやったとはまったくもって感じられないことである。
もう一つ覚えておくべきことは、このアルバムがポールにとって精神的に最悪な状況の中で作られたという事実である。ビートルズの解散がもはや決定的となっていた状況の中で、ポールは全世界を敵に回し、愛妻リンダの支えだけを頼りにこのアルバムを作り上げた。そして、さらに驚くべきことは、このアルバムにはそういった当時のポールの精神状態を想起させるような陰鬱さや、暗さ、影といったものがまったくといっていいほど感じられないということである。そして、これこそがポール・マッカートニーという人のまさに本質を表している。底抜けの楽観主義、プラス思考といった表現さえも陳腐に聞こえてしまうほどのタフな精神力・・・そして逆境に置かれた時の強さ・・・。だが、表向きはいつも笑っている。それがポール・マッカートニーという人なのだ。
僕がアルバム『マッカートニー』を聴いて感じる言葉は「天才のきらめき」である。
最後にこのアルバムで僕が「いい曲」と思う曲を挙げておく。
Every Night
Junk
Man We Was Lonely
Momma Miss America
Teddy Boy
Maybe I'm Amazed
Singalong Junk
McCartney[CD]
そしてここ数年というもの、僕はアーティストやジャンルを問わず、ただ好きな曲だけをスマホ内に集めてランダム再生するというスタイルにすっかり慣れきってしまっていた。つまり僕はだんだんと1枚のアルバムというものに重きを置かなくなっていたのである。
それに、自分がいいと思う曲だけを寄せ集めて繰り返し聴くというのは単純に気持ちのよい経験であったし、いろんな意味でムダが省けているようにも思われた。そして、そうすることは僕が若い頃に陥りがちだった、ある特定のアーティストに特別な肩入れをするということから僕を解放してくれたようにも思われた。
上記のような経緯を通して、僕はだんだんとビートルズとポール・マッカートニーを自分の中で特別扱いするということやめるようになっていった。これはある意味寂しさを伴うものではあったが、僕はより多くの音楽を柔軟に受け入れることができるようにもなっていった。実際、今僕が日常的に聴いている音楽は、そのほとんどがビートルズやポールとは関係のないものばかりである。
しかし、そんな今だからこそ、改めてフラットな気持ちでポールのアルバムをもう一度初めから最後まで聴き直してみようという気持ちにもなったのである。
と、前置きが長くなってしまったが、これから1日1枚ポールのアルバムを初めから最後まで通しで聴くというシリーズをやっていこうと思う。(といっても、毎日記事をアップするという意味ではない。あくまでも気が向いたら、という意味である)
そして、ポイントはとにかく初めから最後までノンストップでアルバム全体を聴き、その感想を素直に書くというものだ。いったいどんな感想が飛び出すのか。これは自分でも楽しみである。
さて、今日はその第一回目ということで、1970年に発表されたポールのソロアルバム第一弾『マッカートニー』を取り上げる。
このアルバムを最初から最後まで聴くのはおそらくアーカイヴのリマスター盤が出たとき以来だろう。とにかく久しぶりであり、それだけにとても新鮮な気分になった。実は、今回このアルバムを通しで2回も聴いてしまった(笑)。
アルバム全体を通しての印象は、やはり天才のほとばしるような才能がアルバム全体に染み渡っているということである。たとえばビートルズならば没になったであろうような曲であっても、そこには非凡なメロディーやフレーズがあり、ハッとするようなアイデアや小技があり、魅惑的なヴォーカルがあり、深いベースの響きがあり、センス溢れるギターやドラムスの音がある。しかも、それらはいかなる意味でも他の音楽を模倣したものではないし、また追従したものでもない。それはただ彼の存在の核から湧き上がる生粋のオリジナルである。そして、であるがゆえに、マッカートニーミュージックは決して聴く者の耳を捉えて離さないのである。
しかもこの時代にほぼすべての楽器とヴォーカル、そして多重録音を独力で行い、1枚のアルバムとして仕上げるという気の遠くなるような作業・・・。それは凡人には想像することさえ不可能である。おそらくポールの頭の中には予め曲の完成形が出来上がっていたに違いない。そして、もっとすごい事は、このアルバムのどの曲を聴いても、そうと言われなければ全部を一人でやったとはまったくもって感じられないことである。
もう一つ覚えておくべきことは、このアルバムがポールにとって精神的に最悪な状況の中で作られたという事実である。ビートルズの解散がもはや決定的となっていた状況の中で、ポールは全世界を敵に回し、愛妻リンダの支えだけを頼りにこのアルバムを作り上げた。そして、さらに驚くべきことは、このアルバムにはそういった当時のポールの精神状態を想起させるような陰鬱さや、暗さ、影といったものがまったくといっていいほど感じられないということである。そして、これこそがポール・マッカートニーという人のまさに本質を表している。底抜けの楽観主義、プラス思考といった表現さえも陳腐に聞こえてしまうほどのタフな精神力・・・そして逆境に置かれた時の強さ・・・。だが、表向きはいつも笑っている。それがポール・マッカートニーという人なのだ。
僕がアルバム『マッカートニー』を聴いて感じる言葉は「天才のきらめき」である。
最後にこのアルバムで僕が「いい曲」と思う曲を挙げておく。
Every Night
Junk
Man We Was Lonely
Momma Miss America
Teddy Boy
Maybe I'm Amazed
Singalong Junk
McCartney[CD]