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オカルト的ポール・マッカートニー論 「謎の5年間 音楽の神はポールに降りていたのか!?」

(今回は少々迷信じみた話になるが、あまり深刻に捉えないでいただきたい。あくまで仮説である。)

ビートルズのポールには1965年から1969年までの5年間、音楽の神が降りていたというのが僕の基本的な主張である。

アルバムでいえば“Help!”から“Abbey Road”までがそれに当たる。

ポール・マッカートニーがポピュラー音楽史上稀に見る(おそらく最高の)ソングライター、プレイヤー、そしてヴォーカリストであることは疑いようがないが、前述の5年間に関してはまさしく人知を超えた神がかり的な活躍、作品を残しているからだ。

“神”というのが言いすぎだとしても、“音楽の精霊たち”がポール・マッカートニーという格好の媒体(medium)を得て、ポールを通して人類にポップミュージックの完成形を残した、ぐらいのことは言ってもばちは当たらないと思っている。
それぐらいこの5年間にポールが残した作品群は凄まじいものがあるのだ。

そして、それを裏付けるような事実がポール自身の口から語られている。
有名な“Yesterday”誕生の秘話をもう一度思い起こしてみよう。

おそらくポピュラー音楽史上最も有名なこの曲がなんと“夢の中”で書かれたのである。
もっと正確にいえば、ポールは“夢の中で聴いた”この曲をただ思い出して再構成したにすぎない。
実際ポール自身がこの曲を自分で作曲したという意識がなく、ビートルズのメンバーやプロデューサーのジョージ・マーティンにこの曲を聴いたことがあるかどうかを尋ねて回ったことが記録として残っている。
史上最高の名曲は“書かれた”のではなく、ポールに“降りてきた”、もしくは“授けられた”ものなのだ。
こんなウソのような話が実際にポールの身に起こった事をまず忘れてはならない。

この名曲“Yesterday”を発表したのが1965年。

そして、同時期に発表されたアルバム“Help!”から、ポールは人が変わったように次々と名曲を送り込み始めるのである。その質の高さと量はまさしく驚異的。とても同じ人間とは思えないほどだ。

ポールのファンなら誰でもアルバム“Please Please Me”から“Beatles for Sale”までのポールと“Help!”以降の作品に大きな変化が起こっていることは認めるはずである。
僕はそれを単なる才能の開花とは捉えない。なぜなら1970年以降現在に至るまで約35年もの間、あの5年間に起こった完璧なまでの作品の質の高さが二度と再び再現されていないからである。
1970年以降もポールはたくさんの“いい曲”を作ったが、こと作品の質に関してはあの5年間は圧倒的であり、他の時期は全く比較の対象にさえならないのである。

さらにいえば、ポールは1970年以降真の意味での“名曲”というものを1曲も書けていない。真の意味での名曲とは“Yesterday”“Hey Jude”“Let It Be”のように万人に愛され、百年単位で曲が生き続けていくような曲のことである。
そういう意味でジョンは“Imagine”という真の名曲を残したが、1970年以降に関してはポールはまだ1曲も書けていないのだ。

そして、あの時期のヴォーカルのすばらしさ。
そして今でも語り継がれる独創的なベースプレイ。
同じ人間だが、何かが違う。
このあたりも大きな力が彼を乗っ取っていたと考えるとある意味納得がいくのではないだろうか…。

アルバム“Help!”に始まるポールの変身ぶり。それは“Rubber Soul”“Revolver”“Sgt. Pepper's”と作品を重ねるごとに凄みを増し、ついに“The Beatles”俗に言うホワイトアルバムで頂点を迎える。
それまで何とか均衡を保っていたジョンとポールの作品のバランスがこのアルバムでは完全に逆転。ポールが幅広い作風と作品の質の高さで他のメンバーを完全に圧倒してしまう。

このホワイトアルバムを発表した1968年がポールの音楽キャリアの中で最も興味深く、また僕が最も好きなポールがいる年になる。

この年にポールが残した作品の数々はまさしく音楽界の奇跡の一つに数えられるだろうと思っている。

次回からは、それらの曲を1曲ずつ紐解いていきたい。
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