FC2ブログ

ジョンの遺言 その3 - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ・・・プラス!PLUS!+!

Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ・・・プラス!PLUS!+! ホーム » ジョン・レノン » ジョンの遺言 その3

ジョンの遺言 その3

ジョンの最後のプレイボーイ誌インタビューからの抜粋。その3回目である。
このインタビューは元々月間プレイボーイに前編・後編の2回に分けて発表され、その後1冊の本として発売された。今回公開したのは、前編からのものである。というのも、僕はこの前編だけを切り取ってスクラップしていたからである。
当時多くのビートルズファンがこの本を買い求め、今でも多くのファンが大切に所蔵していると思われるが、現在では絶版となっており、入手は非常に困難だという。


レノンとマッカートニーが協力してつくった歌詞の例を他に挙げてください。

(ジョン)「『ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト』じゃ、ポールが前半を書いて、僕が“真ん中の8行”をやったのさ。でも“僕らはやり遂げられる/僕らはやり遂げられる”ってくだりはポールが書いたんだよ。まさに楽観的だろう。僕のはせっかちさ。“人生はとても短く、時間はないんだ/口論したり、殴り合ったりしている時間はない、友よ…”」

マッカートニーがストーリーを作り、それにレノンが意義を持たせるというわけですね。

(ジョン)「その通り。僕はいつもそうだったよ。ビートルズ時代の前でも、後でもね。いつも、なぜ人間はこうしたことをするのだろうとか、なぜ社会というものはこういうものなのだろうかと考えていたよ。表面からだけ見て、物事を受け入れるってことがどうしてもできなかったんだよ。いつも表に見えない、中の部分を見ていたな。」

「ワーク・イット・アウト」を協力して作ったと今話したところから考えると、あなたがこれまでに認められた以上に、レノンとマッカートニーは密接に協力して仕事をされてたようですね。二人の名前にはなっているけれども、その歌の大部分は別々に書いたものだって、あなたは言っていたんじゃなかったですか?

(ジョン)「そう。僕がウソをついてたんだよ(笑)。僕が憤慨してたときだから、あらゆる歌を別々に作ったような気がしてたんだ。実際には、顔をつき合わせて、歌をたくさん作ったよ。」

でも別々に作った歌も多いんでしょう?

(ジョン)「そうだね。『サージェント・ペパー』はポールのアイデアで、ずいぶん時間をかけたのを憶えてるよ。ある日突然、ポールがスタジオへ行こうって電話をかけてきて、そろそろ歌を作ってもいい時期だってポールが言ったんだ。それで、たった10日間しか余裕がないっていうプレッシャーの中で、『サージェント・ペパー』に続くものとして、なんとか『ルーシー・イン・ザ・スカイ』と『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を僕が作ったのさ。
僕らの間では十分にコミュニケーションがなかったんだな。だからあとになって、あらゆることに腹が立ったんだよ。でも、あれはどこにでもある競争だったってことが、今ではわかってるよ。」

でも、その競争ってやつが、レノンにとって良かったんでしょう?

(ジョン)「初期の頃には、12時間かそこらでレコードを1枚作ったよ。3ヶ月ごとにシングル盤を1枚出せってことだったから、僕らはホテルの部屋やバンの中で書かなくちゃならなかったんだ。だから、協力は音楽的なものだけじゃなくて、実務的なものでもあったのさ。」

その協力、4人の間にあった不思議な力が、その後のあなたのお仕事には欠けている何かだとは思われませんか?

(ジョン)「実際に何かを失ったと感じたことは一度もないな。否定的に受け取ってもらっては困るんだけどね。たとえば、僕にはポールが必要ではなかったんだ、という風にはね。ポールと一緒の時には、はっきりとうまくいってたんだからね。でも…、
でも、僕には…ポールから何をもらったかを言う方が、僕がポールに何をあげたかを言うより気楽だね。それに、ポールも同じことを言うだろうよ。」

今歌詞の話と、あなたがマッカートニーに感じている不快感とが話題になってますが、ちょっとだけ脱線をしたいのです。あなたが、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」を書かれた動機は何ですか?あの歌詞には“君は死んだと言っていた、あの連中は正しかった”とか“君がやった唯一のことは昨日(イエスタデイ)だ/そして君は行ってしまったんだから、君は単なるある日(アナザー・デイ)にすぎない”といったくだりがありますね。

(ジョン)「(微笑を浮かべて)あの時には、そんなにひどい悪感情を持ってたわけでもないんだ。でも、歌を作り出すのに、ポールへの不快感を僕は利用していた…。こういうことにしておこうじゃない?あのくだりがはっきり自分を指していることをポールはわかっていたよ。みんながこのことでポールをさかんにけしかけていたしね。でもね、僕がやる前に、ポールが自分のアルバムの中でいくつかあてこすりをやったんだぜ。ポールのはそれとなくやったものだったから、みんな気がつかなかったんだ。でも、僕は聴き取った、と思ったね。僕はそれとなく、なんてことはしない。ズバリ本質を突くんだ。だから、ポールはポールのやり方で、僕は僕のやり方でした、ということだね。そう、今君があげたくだりについて言えば、創作という面からすれば、ポールはある意味で死んだ、と僕は思うよ。」

リンゴ・スターの話に移りましょうか。音楽的にいって、スターをどう思いますか?

(ジョン)「僕らが出会う前から、リンゴはリバプールで自分だけの才能でスターになっていたのさ。プロのドラマーで、歌もやり、ドラムも叩き、リンゴ・スター時代を作り出してたんだよ。僕らのグループがドラマーを入れる前から、イギリス、特にリバプールでのトップグループのひとつに入っていたんだ。だから、リンゴの才能は、いずれどういう形にせよ、花開いただろうよ。どういうスターになったかはわからないけれどもね。リンゴの中にははっきりそれとわかる何かがあった。ビートルズに加わろうが加わるまいが、必ずスターへの道を歩んでいただろうね。リンゴはすばらしいドラマーだよ。テクニックの上で優れているというんじゃないんだけど、ポールのギターの演奏技術が過小評価されているのと同じように、リンゴのドラムも過小評価されてるね。ポールは非常に斬新なギター・プレイヤーのひとりだよ。今、みんながやっていることの半分は、ビートルズ時代のポールをそっくり真似たものだよ。ポールっていうのは、あらゆることで病的といっていい位自負心の強い男なんだけれども、自分のギターの演奏についてだけは、いつも引っ込み思案なんだ。ポールとリンゴはどのロック・ミュージシャンにもひけをとらない、と僕は思うな。技術的に偉大だというんじゃないよ。僕らはみんな、テクニカルなミュージシャンじゃない。誰も譜面が読めないし、書けない。でも、純粋のミュージシャンとしては、音を作り出す才能を授けられた人間としては、誰にも負けないものを持ってるよ。」

ジョージ・ハリソンがひとりで作った音楽はどうですか?

(ジョン)「『オール・シングス・マスト・パス』はいいと思うよ。長すぎるけどね。」

このインタビューで、あなたはハリソンのことをあまり話していませんね。

(ジョン)「ジョージが出した本『アイ・ミー・マイン』で僕は自尊心を傷付けられた。だから、ここでこう言っておくよ。ジョージは個人的に、自分が生きてきた道についての本を出したんだが、しらじらしくも、自分の生き方にレノンの影響はまったくのゼロだった、と書いているんだ。
生き方が作った歌にどう影響したかをはっきりと語っているこの本で、ジョージはビートルズ以後に自分が出会った取るに足らないサックス奏者やギタリストひとりひとりについて思い出を書きながら、僕についてはひとことも触れてないんだ。」

なぜです?

(ジョン)「僕とジョージの関係は、先輩後輩の関係だったからだよ。ジョージは僕より3つ4つ若い。ジョージにすれば愛憎入り混じった関係で、家を出ていった父親に対するような不快感を、今でも僕に対して持ってるんだ。ジョージはそんなことはないって言うだろうけれども、僕はそう感じてるね。
ジョージの歌のうちじゃ傑作に入る『タックスマン』を作ってた時に、ジョージは僕に電話で、助けてくれって頼んできた。いくつかパンチの効いたことを考えてやった。助けてくれ、というのはそのことだったからね。僕のところに来たのは、ポールのところへは行けなかったからなんだ。そのころなら、頼みに行ってもポールはジョージを助けなかったからさ。僕だって助けたくはなかったさ。ジョージの歌に手を貸してやるなんて、まっぴらだ、と思ったよ。自分自身のとポールのとで手一杯だったからね。でも、ジョージが好きだったし、あの日の午後電話をかけてきて『この歌で手助けしてくれないかな』って言ったとき、ジョージを傷つけたくなかったんだ。僕は自分の気持ちを抑えて、オーケーしたんだ。ジョンとポールの時代が長く続いていてジョージは取り残されていたんだ。このときまで、ジョージはソングライターじゃなかったからね。歌手としてのジョージには、アルバムの中の1曲を歌わせることにしていたんだ。イギリス盤のものだけれど、初期の頃のビートルズのアルバムを聴いてごらん。ジョージのシングル盤が入ってるよ。ジョージとリンゴが初めの頃歌ったものは、ダンスホール時代に僕のレパートリーだったものなんだ。僕が自分のレパートリーの中から歌いやすいものを選んでやってたんだ。だから、ジョージの本が出たとき、ちょっと気を悪くしたんだ。僕はみんなが好きだよ。ビートルズは終わったけれども、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴはこれからも生きていくんだ。」
関連記事