ポール・マッカートニー:偉大なる50年の軌跡  その10『ポールが作った曲PART1』 - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ

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ポール・マッカートニー:偉大なる50年の軌跡  その10『ポールが作った曲PART1』

ポール・マッカートニーはこれまでにいったいどれくらいの数の曲を作ったのであろうか?その正確な数については研究家諸氏の手に委ねることにして、これからしばらくの間はポールが作曲した全楽曲のうち、公式に発表されたものだけを当ブログ独自の切り口でで年代順に検証していこうと思う。ここでの主な目的はポールが作曲した曲を10年間ごとに区切り、おおまかな数を算出した上で作曲家としての彼の活動に光を当てようとするものである。さらに見方を変えるならば、最初の10年間でポピュラー音楽史上最高にして最強の楽曲群を生み出し、20代で作曲家としての頂点に登り詰めてしまったポールが、その後の40年間でいったい何を成し得たのか?(それとも成し得なかったのか?)それらを記録と共に振り返ろうという試みでもある。果たしてポールは作曲家として50年間常にアクティブであり続けたのだろうか、それとも・・・。

ひと言に「ポールが作った曲」といってもある程度定義を絞り込まないと、これはなかなかに厄介な仕事である。そこで、だいたいのガイドラインを以下の通りに定めることにした。

1.公式発表(発売)された曲だけを対象とする。
2.分類に当たっては「録音日」ではなく「発売日」を基準とする。
3.他者との共作曲についてはポール自身が少なくとも「3割以上作曲に関与したと思われる曲」を対象とする。(作詞に関してはここでは全く考慮しない)
4.他のアーティストに提供した曲(例:『グッドバイ』(メリー・ホプキン))や、結果としてポール以外のアーティストが発表した共作曲(例:『ヴェロニカ』(エルヴィス・コステロ))は除外する。ただしビートルズやウイングス等自身のバンドメンバーがヴォーカルを取った曲についてはカウントする⇒☆印で表示(例:『イエロー・サブマリン』(リンゴ)、『クック・オブ・ザ・ハウス』(リンダ))。また他のアーティストに提供した曲でもポール自身がレコーディングし発表した曲であればカウントする(例:『ガールフレンド』(マイケル・ジャクソン))。
5.ポールが手掛けたクラシックアルバム4枚(『リヴァプール・オラトリオ 』、『スタンディング・ストーン 』、『ワーキング・クラシカル』、『エッチェ・コール・メウム』)、『ストリベリー・オーシャンズ・シップス・フォレスト』、『ラッシズ』、『リヴァプール・サウンド・コラージュ』、『ツイン・フリークス』、『オーシャンズ・キングダム』からの曲は除外する。(※ただしファイアーマン名義の『エレクトリック・アーギュメンツ』は当ブログではポール・マッカートニーのオリジナルアルバムの1枚として扱う)。

ビートルズの楽曲については、やはり「レノン=マッカートニー」のクレジットが付いた曲をどう判断するかが問題となる。現在では純然たるレノン=マッカートニーの共作は少ないとされており、一部の例外を除きどちらがリード・ヴォーカルを取っているかで、ジョン、ポールどちらの曲か判別がつくというのが一般的な考え方である。本記事でも基本的にその考え方に沿い、前述の通り「3割以上は作曲に関与したと思われる曲」はポールが作った曲と考える、という観点にて分類した。★印のついた曲がそれに当たる。逆に無印の曲は「7割以上がポールの手になると思われる曲」ということになる。ただ僕はビートルズ研究家ではないので、このあたり事実と大きく異なる部分があればご指摘いただけると幸いである。

ビートルズの『アンソロジー』シリーズでは未発表音源も数多く収録されたが、これらも「録音日」ではなく「発売日」を基準としてカウントした。たとえば『アンソロジー1』に収録された『イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー』はデビュー以前の1958年に録音されたが1995年に初めてビートルズとして公式発売されたため、分類上第4期(1992年~2001年)に入れた。

ソロ期の楽曲に関しては、現在ポールの音楽活動の集大成といえるアーカイブ・コレクション・プロジェクトが進行中であり、ボーナス曲という形で公式発表曲がどんどん増えているのが現状である。前述のガイドラインに沿えば、新たに追加された未発表曲は「リマスター盤発売日」を基準に分類されることになるのだが、アーカイブ・コレクションのボーナス曲については「オリジナルアルバムの発売日」を基準にすることとした。ただしボーナス曲であっても再発売の曲はオリジナルの発売日を優先した。

※例によって、本特集記事ではポールの50年間に渡る音楽活動を10年ごとに区切り、以下の通り第1期~第5期という区分を設定している。
   
第1期(1962年~1971年) 20代(20~29才)
第2期(1972年~1981年) 30代(30~39才)
第3期(1982年~1991年) 40代(40~49才)
第4期(1992年~2001年) 50代(50~59才)
第5期(2002年~2011年) 60代(60~69才)

前置きが大変長くなったが、それでは第1期(1962年~1971年)から順に10年ごとの作品を見ていこう。

第1期(1962年~1971年) 20代(20~29才)
【ビートルズ】
1『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』、2『ラヴ・ミー・ドゥ』、3『P.S.アイ・ラヴ・ユー』、4★『フロム・ミー・トゥ・ユー』、5★『サンキュー・ガール』、6★『シー・ラヴズ・ユー』、7★『アイル・ゲット・ユー』、8『オール・マイ・ラヴィング』、9『ホールド・ミー・タイト』、10★『抱きしめたい』、11『アンド・アイ・ラヴ・ハー』、12『キャント・バイ・ミー・ラヴ』、13『今日の誓い』、14『シーズ・ア・ウーマン』、15★『ベイビーズ・イン・ブラック』、16『アイル・フォロー・ザ・サン』、17★『エイト・デイズ・ア・ウィーク』、18★『エヴリー・リトル・シング』、19『ホワット・ユー・アー・ドゥーイング』、20『アイム・ダウン』、21『ザ・ナイト・ビフォア』、22『アナザー・ガール』、23★『テル・ミー・ホワット・ユー・シー』、24『夢の人』、25『イエスタデイ』、26★『デイ・トリッパー』、27★『恋を抱きしめよう』、28『ドライヴ・マイ・カー』、29『ユー・ウォント・シー・ミー』、30『ミッシェル』、31『君はいずこへ』、32★『ウェイト』、33『ペイパーバック・ライター』、34『エリナー・リグビー』、35『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』、36☆『イエロー・サブマリン』、37『グッド・デイ・サンシャイン』、38『フォー・ノー・ワン』、39『ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ』、40『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、41☆『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』、42『ゲッティング・ベター』、43『フィクシング・ア・ホール』、44『シーズ・リーヴィング・ホーム』、45『ホエン・アイム・シックスティー・フォー』、46『ラヴリー・リタ』、47『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ)』、48★『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』49『マジカル・ミステリー・ツアー』、50『フール・オン・ザ・ヒル』、51『ユア・マザー・シュッド・ノウ』、52『ハロー・グッドバイ』、53『ペニー・レイン』、54★『ベイビー・ユーアー・ア・リッチマン』、55『レディ・マドンナ』、56『ヘイ・ジュード』、57『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』、58『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』、59『ワイルド・ハニー・パイ』、60『マーサ・マイ・ディア』、61『ブラックバード』、62『ロッキー・ラックーン』、63『ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード』、64『アイ・ウィル』、65『バースデイ』、66『マザー・ネイチャーズ・サン』、67『ヘルター・スケルター』、68『ハニー・パイ』、69『オール・トゥゲザー・ナウ』、70『マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー』、71『オー!ダーリン』、72『ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー』、73『シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー』、74『ゴールデン・スランバー』、75『キャリー・ザット・ウェイト』、76『ジ・エンド』、77『ハー・マジェスティ』、78『ユー・ノウ・マイ・ネーム』、79『トゥ・オブ・アス』、80『レット・イット・ビー』、81★『アイヴ・ガッタ・フィーリング』、82『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』、83『ゲット・バック』

【ソロ】
84『ラヴリー・リンダ』、85『きっと何かが待っている』、86『バレンタイン・デイ』、87『エヴリナイト』、88『燃ゆる太陽の如く / グラシズ』、89『ジャンク』、90『男はとっても寂しいもの 』、91『ウー・ユー』、92『ママ・ミス・アメリカ』、93『テディ・ボーイ』、94『恋することのもどかしさ 』、95『クリーン・アクロア』、96『スーサイド(アウトテイク)』、97『ウーマン・カインド(デモ)』、98『トゥ・メニー・ピープル』、99『3本足』、100『ラム・オン』、101『ディア・ボーイ』、102『アンクル・アルバート~ハルセイ提督』、103『スマイル・アウェイ』、104『故郷のこころ 』、105『モンクベリー・ムーン・デライト』、106『出ておいでよ、お嬢さん』、107『ロング・ヘアード・レディ』、108『バック・シート』、109『アナザー・デイ』、110『オー・ウーマン、オー・ホワイ 』、111『ア・ラヴ・フォー・ユー』、112『ヘイ・ディドル』、113『グレート・コック・アンド・シーガル・レース』、114『ロード・オールナイト』、115『サンシャイン・サムタイム 』、116『マンボ』、117『ビップ・バップ』、118『ワイルド・ライフ』、119『サム・ピープル・ネヴァー・ノウ』、120『アイ・アム・ユア・シンガー』、121『ビップ・バップ・リンク』、122『トゥモロウ』、123『ディア・フレンド』、124『マンボ・リンク』

ポール最初の10年間となる第1期はビートルズの全期間と、ソロとして3枚のアルバム(『マッカートニー』『ラム』『ワイルド・ライフ』)までが対象となる。上記の通り第1期は合計124曲という結果が出た。内訳としてはビートルズが83曲、ソロが41曲となる。ビートルズ時代の83曲というのは意外と少ない気がしてしまったのだが、それにしても各楽曲の質の高さは驚異的である。ハズレはほとんどなし。それこそ発表した曲全てが名曲といっても過言ではないだろう。一方ソロはさすがに曲の出来、不出来にバラツキはあるものの、実質2年間でビートルズ時代の約半数となる41曲を生み出している点は注目に値する。作った曲数については、ソロ期の作品がビートルズ期を大きく凌駕することだけはもうこの時点で間違いない。第2期以降の結果がどうなるのか、個人的にも興味津々なのである。(PART2へ続く)

参考:
ザ・ビートルズ・ボックス
ポール・マッカートニー・アーカイヴ・コレクション


コメント
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若干気になった点。アイヴ・ガッタ・フィーリングはポール色が強いながらも純然たる共作(二つの曲を合体)、デイインザライフもジョン色が強いとはいえポールの貢献度もおおきく共作。インマイライフに関してはポールが共作を正式に主張していますね。老婆心です・・・・

2012-07-08 22:18 │ from るんばURL Edit

るんばさん
コメントありがとうございます。『イン・マイ・ライフ』はまだ保留にしときますが、他の2曲はさっそく採用し、記事に反映させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

2012-07-08 22:48 │ from 管理人URL

インマイライフは微妙ですよね。ジョンは自分だ、というし、ポールもおなじことをいう。ジョンとポールで意見が大きく違うのはこの曲だけ。ポールはそれは凄いことだよね、なんていってました。

2012-07-08 23:18 │ from るんばURL

何と言っても僕の憧れのスーパースターで唯一無二のアイドルですから、ややもすると作曲もするという事を忘れがちになりますが、クリエイターとしても超一流ですよね。
ただポールの場合作曲=自分が歌う物(シンガーソングライターという肩書きは彼にはなぜか似合わないです:笑)ですから、彼にとって作曲という作業は歌を歌うための一連の過程にすぎないのかなって思ってしまいます。
もしもこれらの名曲を他の歌手に歌わせたところでオリジナルほどの輝きは出なかったでしょう。
ポールの熱唱があって初めて傑作たりえたのでしょうね。
(例えばジョンが歌う『ゲット・バック』はやはりしっくりこない)
でもそれこそが天性の“シンガーソングライター”ってことなのでしょうね

2012-07-09 00:15 │ from アイヤーダイURL

アイヤーダイさん
コメントありがとうございます。ビートルズ以前はそもそも自作自演というスタイル自体が珍しかったという歴史的事実がありますね。その意味でもポールは先駆者の一人ということになるわけで、その上シンガーとしても、プレイヤーとしても、アイドルとしてもすべてがトップクラスというのはやはり唯一無二の存在だと思います。さらに夫として、5人の子供の父として、そして一人の人間としてもすばらしいということも忘れてはならないと(けっこう、こっちが滅茶苦茶な人が多いですから)。

2012-07-09 13:05 │ from 管理人URL

ポールが20代だった最初の10年間で発表した曲を改めて見ると やはりスゴいですね。
ポールの名声を決定づけた重要な時期に彼の創作に とても大切な役割を果たしたと思うのが、当時の恋人だったジェーン・アッシャーです。
特にラヴソングに関しては ジェーンがイメージの源泉となって多くの曲が作られたと思います。またジェーンの兄が在籍していたグループ、ピーター&ゴードンに「愛なき世界」等のヒット曲も提供していますし、ジェーン・アッシャーの影響で ポールによって多くの名曲が世に送り出された事は間違いないですよね。

またポールは アッシャー家と同居していた時期もあったそうで、ポールの創作に対する支援も大きかったのではないでしょうか?
ロンドンの上流社会の空気にも触れ ポールが多くの刺激を受けた事も想像に難くありませんよね。
ポールといえば、内助の功はリンダというイメージが強いですし実際にそうでしたが 、ポール史において ジェーン・アッシャーの存在や影響も もっと語られて良いかも知れませんね。

ビートルズ解散以降は リンダや家族の支えがあったとはいえ 孤軍奮闘といったイメージもあるポールですけど、この最初の10年間は ビートルズという最高のバンドに在籍し、ジョンとは お互い切磋琢磨して、素晴らしい名曲を産み出しました。そしてジョージ・マーティンやスタッフにも恵まれ、ポールの才能を開花させるには 最適な環境だったと思います。
そんな中で 特にジェーン・アッシャーの存在を個人的には クローズアップしたいですね。

私はポールがジェーンに捧げたであろうラヴソングの中で「今日の誓い」が特に好きです。歌詞を見ると 愛する人がいる幸せを改めて噛みしめる事か出来て、自分にとって とても大切な曲です。

2012-07-09 23:24 │ from テツURL

テツさん
コメントありがとうございます。おっと、これは新説か?いずれにしろ、この説は私にはとても新鮮に響きます。ポールはジェーンと実際どれくらいの期間付き合っていたのでしょうか。テツさん、もうひと押し!私を納得させてください~(笑)。

2012-07-10 02:07 │ from 管理人URL

ポールをクラッシック的な要素を芽生えさせたのはジェーンの影響といわれてます。なにせジェーンの母親はジョージマーテテインに音楽を教えた人だったはず。ポールもたしかアッシャー家でピアノのレッスンをうけたとか・・・ポールがハイソなアッシャー家からいわゆる文化芸術的なものをおおく吸収し、自らの表現に反映させていったことはポール自身もみとめているし、わりと公になっているのですが、ポールといえばリンダ、となってしまったので、ジェーンの存在はごくごく控えめに語られる傾向にありますね。そういう上品さこそがジェーンのそのものといえるかも。ちなみにジェーンは破局後、ポールに対するコメントを一切拒否しているそうです。

2012-07-10 13:51 │ from るんばURL Edit

たしか有名なビートルズのインド旅行には一緒にいっているはず。その後、ポールが浮気の現場に鉢合わせて関係が悪化して破局となったはずで5年以上つきあってたのではないでしょうか?個人的にはポールのつきあっていた女性ではジェーンが一番好きですね。

2012-07-10 21:49 │ from るんばURL Edit

るんばさんが ジェーン・アッシャーについて、詳しく解説して下さっていますね。有難うございます。

ポールとジェーン・アッシャーが交際していたのは、1963年~1968年の約5年間ですから、今回のテーマになっている ポールがデビュー後の最初の10年間では 半分の期間を一緒に過ごした訳ですね。

ポール最初の10年間で 他の期間と違うとすれば、ジェーンの存在ではないかと思ったのです。
るんばさんも 書いておられましたが、ジェーン・アッシャーと言う人は ポールと一緒に過ごした時期の事を あまり他人に口外しません。
回想録や暴露本的なオファーも沢山会ったと思いますが、現在まで沈黙を保っている様です。
個人的には、彼女の証言を是非聞いてみたいですね。ポールのデビュー直後から 彼の成長を身近に見届けて来たと思いますし、名曲の意外な誕生秘話なども 彼女は知っていると思います。

そういう ある意味「謎の部分」も含めて ジェーン・アッシャーという人のポールに対する影響力って まだ公になっていない事も沢山ある様な気がします。
そういう 未知の部分を知りたいという願望も含めて ジェーン・アッシャーの存在をクローズアップさせて頂きました。

個人的には、アッシャー家でポールが住んでいた部屋は、永久保存して欲しいとさえ思いますね。あの「イエスタデイ」が誕生したのも アッシャー家で居候していた時に住んでいたあの部屋ですからね。

ちょっと強引な説ですけと(苦笑) 管理人様が仰る 当ブログならではの切り口として、こんな考えの人物もいる程度に思って頂けたら・・と思います。

2012-07-11 01:32 │ from テツURL

『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』にけっこうアッシャー家での生活やジェーンとの関係についてもくわしくでてきますね。別離(婚約破棄)についても生々しく書かれてて興味深いです。

ジェーンにはテツさんのおっしゃるようにポールの音楽的なかかわりについての発言が聞きたいです。ただ普通はスキャンダラスな面を聞きたがるでしょうから、なかなか公になるのは難しいかもしれませんね。

2012-07-11 09:03 │ from るんばURL Edit

テツさん、るんばさん情報ありがとうございます。
私にとってジェーンの存在は全くノーマークだったのですが、たしかに言われてみると非常に興味深い存在ですね。今だったらかなりスキャンダラスな話になりそうですが、これも時代でしょうか。ポールも若かったんですねえ(笑)。そして多くを語らないジェーンも立派だと思います。今もとてもすてきな女優さんとしてがんばられているようですね。

2012-07-11 14:02 │ from 管理人URL

わからない・・・George風にいうなら”I don't know”

死亡説をYESとするならば ”T FEEL FINE”と"DAY TRIPPER"での作風の極端な変化はPAULとFAULでの声の変化やベースプレイの下手さを隠すためにファズをかけたりテープスピードを変えられるサイケデリックな引きこもり隠蔽路線に変えざる終えなかったのではないか?それを考えると今のFAULはピエロだ 横道にそれたならすいませんm(__)m 1,2,3,4,5!って曲”Driving Rain”は久々にいい曲だと思いますが「車にまつわる」引っ掛かりから抜け出せないのかな? 正直、”Sgt. Pepper's”から気持ち悪くて聞けない GeorgeHarrisonの遺言テープを基に作られた映画"Paul McCartney Really Is Dead- The Last Testament Of George Harrison"を見たらなおさらに・・・騙されたぁFEEL DOWN!

2012-12-25 23:36 │ from FP M研究家URL Edit

FP M研究家さん
コメントありがとうございます。解散から40年以上経っているのに、ポール死亡説は意外と根強いんですよね。ビートルズはほんとうにネタの尽きないモンスターグループだと思います。

2012-12-26 06:27 │ from 管理人URL