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ジョンの遺言 その1 - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ

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ジョンの遺言 その1

ジョン・レノン最後の本格的な公式インタビューは、僕が知る限りプレイボーイ誌のインタビューということになっている。
おそらく死の数時間から数十時間前に行なわれたこのインタビューで、彼はまるで死を予感していたかのように実に多くの事柄について語っている。
あの日から25年以上が経過した今、改めてこのインタビューを読み返し、ポールやビートルズについて語っている部分が実に興味深いことを再確認した。ここにその一部を抜粋して紹介する。



ヨーコさんとの恋と、ビートルズを離れたこととは関係ありませんか?

(ジョン)「今言ったように、そのころ(1966年頃)にはもう僕はビートルズを離れたいと考え始めていたんだ。でも、ヨーコとの出会いは、女性との生まれて初めての出会いみたいなものさ。もう男たちとバーでは付き合わなくなる。もうフットボールもしなくなるし、ビリヤードもしなくなる。金曜日の夜にならこういう付き合いをする男もいるかもしれないけれども、この人こそという女性を見つけたあとは、僕には古い学校友だちだという以外には、男の仲間には関心がなくなってしまったんだ。『結婚式の鐘が僕の古い仲間たちをバラバラにしてしまった』というわけさ。僕たちは3年後の1969年に結婚した。男たちとの付き合いはそこで終わったんだ。ただ、その男たちがたまたま有名人で、バーにたむろしている、そこらの男たちじゃなかったというだけなんだ。だから、誰も彼もが、僕とヨーコに憤慨したんだ。さんざん悪口を言われ、さんざんいやがらせをされたわけさ。」

(ヨーコ)「今でもよ。ポールがこう言っているのを読んだばかりよ。『彼が彼女と一緒になりたいというのはわかる。でも、なぜいつも一緒でなけりゃいけないんだ?』」

(ジョン)「ヨーコ、君はまだそんな十字架を背負ってなけりゃいけないのか?ずっと昔のことじゃないか。」

(ヨーコ)「いえ、いえ、ちがうのよ。ポールはごく最近そう言ったのよ。私が言いたいのはこういうことなの。私とジョンとの間に起こったことは、私が自分の好きな男性とベッドを共にしたら、翌朝、その寝室に3人の義理の兄弟が立っていた、というようなものなのよ。」

(ジョン)「ポールの『ゲット・バック(戻ってこい)』にはそういう考え方が潜んでたと、僕はいつも思ってたんだ。スタジオでこの歌をレコーディングしてたとき、『君が昔いたところへ戻っておいで』というくだりを歌うたんびに、ポールはヨーコのほうを見てたよ。」

まさか。

(ジョン)「いや本当だよ。もっとも、僕がこだわりすぎてるって、ポールは言うかもしれないけれどね。」

(ここでヨーコは中座する)

ヨーコさんの言われる“義理の兄弟たち”の話を持ち出してもいい頃のようですね。さて、何度となく聞かれたことでしょうけれども、ビートルズがもう一度一緒になって音楽をやるのは、なぜ考えられないことなんです?

(ジョン)
「君は高校時代に戻りたいと思う?実在しないことが自分自身わかっている幻想を世間に与えるために、なぜ僕が10年前に戻らなきゃいけないんだい?そんな幻想は現実のものになりえないんだよ。」

では、幻想の話はやめましょう。もう一度すばらしい音楽を作るだけというのはどうです?ビートルズがすばらしい音楽を作ったというのは認めるでしょう?

(ジョン)「なぜビートルズがもっと何かを世間に与えなきゃいけないの?10年間にすべてを与えたんじゃないの?自分たち自身を世間に与えたんじゃないの?君が言ってるのは、愛憎入り混じった典型的なタイプのファンが、『60年代に我々のためにしてくれたことすべてに感謝しているけれども、もうひとつだけやってくれないかな。もうひとつだけ奇跡を見せてくれないかな。』というのに似てるよ。」

わかりました。では音楽自体の話をしましょう。世に出た最高のロックをビートルズが作りだした、とは思わないんですか?

(ジョン)「思わないね。ビートルズは…いいかい、僕は音楽的にビートルズと余りにも関わりすぎてしまったから、ビートルズを客観的に見られないんだ。ビートルズを客観的に聴けないんだよ。僕はビートルズが作ったあらゆるレコードに不満なんだ。ビートルズのものを全部と僕自身が個人で出したもの全部を含めて、作り直さなくてもいいと僕が思うものは、ひとつとしてない。だからビートルズという存在を評価するなんてことは、僕には到底不可能だよ。
僕がビートルズの一員だった時、僕らは世界最高のバンドだと思ってた。そして、そう信じたことが、僕らをあれだけのものにしたんだ。最高のロック・グループと呼ぼうが、最高のポップ・グループと呼ぼうがだ。
でも、今レコードを聴いてみると、ひとつ残らず作り直したくなるんだ…。ゆうべラジオで『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』を聴いたんだけれども、最低だったね。あのレコードはひどいもんだ。曲はすばらしいんだ。でも作り方がちゃんとしてないんだ。僕の言いたいことがわかるだろう?でも、芸術っていうのはそういう道をたどるものなんだよ。だからこそ道を究め続けるのさ。で、君の最初の質問に戻ると、こういう答えになるね。僕たちはいい音楽も作ったし、悪い音楽も作った。」

ポールが独立してから作った歌は、どれひとつとしてビートルズ時代のものに匹敵するものがない、と感じている人が多いんです。レノンさんがプラスチック・オノ・バンドのレコードに入れた歌のどれかは、『エリナー・リグビー』や『ストロベリー・フィールズ』のように永く感銘を与え続けるものになるだろうと、レノンさん自身で本当に思っておられますか?

(ジョン)「『イマジン』とか『ラヴ』といったプラスチック・オノ・バンドの歌は、ビートルズ時代に僕が作ったどの歌にも負けないものだよ。ただ、そのことを理解してもらうには20年か30年かかるかもしれない。しかし、こうした歌をしっかり聴いてくれれば、これまでに作ったどの歌にも劣らないってことがわかるはずだよ。」

レノンさんは世間に向かってこう言ってるように思えますね…「ビートルズはいい音楽を作っていたいいバンドだった」でも世間の大部分の人たちの方では「単なるいい音楽じゃなかった。最高だった。」って言っているんですよ。

(ジョン)「たとえ最高だったとして、だからどうだというんだい?」

それで?

(ジョン)「再びってことはありえないんだよ!誰もが良いものには終わりが来るって話をするじゃないか。この世の終わりが来るみたいにね。でも、10月に僕は40になった。ポールは38だ。エルトン・ジョンにしてもボブ・ディランにしても…。僕らは比較的若いんだ。みんな、最後に出したレコードとか、最後のビートルズのコンサートといった観点からものを言うけれども、僕らにはあと40年創作活動を続ける時間があるんだよ。僕には『アイ・アム・ザ・ウォルラス』が『イマジン』より優れているとか劣っているとかいう判断を下すきはないね。判断は他人がすることだよ。僕は音楽を作っているんだ。作るんだよ。一歩さがって審判はしないよ。自分で作るんだ。」

コメント
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 ジョンは80歳までクリエイターでいる気満々だったんですね。ポールもまだまだいける! コンサート期間中ネット掲示板を覗いていたら「starging over」はポールにまたやろうと働きかける詩だという書き込みを見ました。
"its time to spread our wings and fly don't let anotherday go by my love"
でウィングスを手放そう。アナザーデイもマイラブももういいだろう。僕らでやり直そう。という解釈。ダブルファンタジーのブックレットによると晩年はポールとまた作曲したいとも語っていたそうですし本当にそういう意味を忍ばせていたのか...?。とわくわくしました。

2013-11-25 21:25 │ from ふーてるURL

ふーてるさん
コメントありがとうございます。なるほどこの詩には今まで気づきませんでしたが、偶然ではありえないですね。やはりジョンになんらかの意図があったのはたしかでしょう。僕は今でもジョンやジョージが天国でポールの曲作りに手を貸していると信じたいです。

2013-11-26 02:09 │ from 管理人URL

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