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1977年のジョージ・ハリスン・インタビュー - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ

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1977年のジョージ・ハリスン・インタビュー

ジョージのインタビューというのは比較的数が少ないと思うのだが、1977年2月クローダディ誌に掲載されたインタビューを見つけたのでその一部を抜粋してお届けする。
時期としてはジョージがソロアルバム“33 1/3”を発売した直後であり、アルバムのプロモーションを兼ねてインタビューを行なったのではないかと思われる。ジョンとポールという類い稀なる天才2人に囲まれ苦悩し、そして徐々に成長を遂げるもう1人の天才ジョージ・ハリスンの姿が浮かび上がってくる。
このインタビューで話題に上っているホワイト・アルバムを制作したとき、信じられないことだがビートルズのメンバーはたかだか25~27才の若者たちであった。巨大な成功を収め、名声を勝ち取った彼らだったが、ジョージの言葉からジョンとポールの人間的な未熟さを垣間見ることができる。特にジョージにとって、ポールは時として自己中心的でイヤな奴と映ったようである。しかし、それもこれも彼らが20代の若者であったことを考えると、ある意味当然の事であるし、ビートルズもまた人間だったのだとホッとしたりもする。つくづくポールも丸くなったなと(笑)
機会があれば、また続きを訳してみたいと思う。


Q:(ビートルズの)4人全員がなんとなくがんじがらめになっていたという印象がありますが。

G:そうだね。でも67年か68年頃までは誰もグループを脱退したいなんて思わなかった。つまりツアーをやめるまではそういうことはなかったんだよ。僕にとって初めてひどく落ち込んだのは“White Album”の頃だったね。2枚組のアルバムを作ることが問題だったんだ。というのも、作るのにものすごく時間がかかるから。

Q:なぜ2枚組のアルバムを作ったのですか?

G:おそらく曲があり余るほどあったからだろうね。でも、その頃は少しだけ否定的になり始めた時期でもあったんだよ。少し微妙な時期ではあったけれど、僕たちはそれを乗り越え、よい結果を残せた。なんとかアルバムを仕上げて、誰もがその結果に満足だった。なぜなら曲が良かったからね。そのあと、僕はアップル・レコードのジャッキー・ローマックスと一緒にアルバムを作るためにアメリカに長期滞在した。そのときいろんなミュージシャン、いろんな人々と一緒に仕事をしたんだけど、それがものすごく楽しかったんだ。それからウッドストックで感謝祭を迎えたんだけど、これがまた最高に楽しくてね。で、クリスマスにはイギリスに戻って、1月1日から“Let It Be”のセッションに入ったんだ。ところがだよ、そこにはまたしても、あのいや~な空気が流れていたんだ。僕はやっと自分が一人のミュージシャンとして楽しむことができると感じ始めていた。ところが、ビートルズに戻るやいなや、それが到底無理であることに気が付いたんだよ。僕たちがあまりにも長く一緒にやってきたために、いろんな制約ができていた。誰もがある種の固定観念を持っていた。気が滅入ったよ。

ジョンとポールがあまりにも長く曲を書き続けていたことが問題を難しくしていた。彼らは実際たくさん曲を書いていたから、いつの間にか自分たちに優先権があると思うようになっていたんだ。だから僕にしてみれば、自分が書いた曲を1曲聞いてもらうために、彼らの曲を10曲やり終えなくてはならなかった。“All Things Must Pass”の曲があんなにも多くなったのはそういう理由からなんだ。まるで便秘から解放されたようにね。時々は「やってみろよ」って言われることもあったけれど、そんなことは稀だった。それはまるで彼らが僕に気を使ってくれているみたいだった。そんなわけで、僕は自分の作曲能力にあまり自信が持てなかったんだ。彼らは「おい、いい曲じゃないか」なんて絶対に言わなかったからね。“While My Guitar Gently Weeps”を一緒にやった夜なんて、全く盛り上がらなかった。その夜僕はすっかり落ち込んで家に帰った。なぜなら、それがいい曲なのを知っていたからね。

その次の日、僕はエリック・クラプトンを連れて行った。彼ったら本当にあせってたよ。彼にこう言った、「頼むからセッションに来て弾いてほしいんだ。僕がアコースティックギターを弾いて歌うから。」というのも、エリックが来たときに面白いことが起こったんだよ。後日ビリー・プレストンが来たときもそうだったけれど…。レット・イット・ビーにビリーを連れてきたのは僕なんだ。実際それは効果があった。なぜなら、他の人たちは普段よりも少しだけ自分をコントロールしなくてはならなくなったからだ。特にジョンとポールはね。つまり彼らは普段よりもいい人を演じなくてはならなくなったんだよ。エリックは緊張してこう言った、「彼らがなんて言うか・・・」。だけど僕は言ったよ、「ばかやろう、これはオレの曲だぜ」ってね。こうして彼はビートルズ以外で初めて演奏した人間になったわけだ。

Q:きっと緊張したんでしょうね…

G:結果的にはよかったね。ポールは常に彼の曲を10曲やったあとでないと手を貸してくれなかった。そうして初めて僕の曲を1曲だけ手助けしてくれるんだ。はっきり言ってすごく自己中だったよ。時々ポールはほんとにカマっぽい曲を僕たちにやらせたんだ。たとえば、“Maxwell's Silver Hammer”みたいな曲をね。

参考:
“White Album”(The Beatles)
“33 1/3”
“All Things Must Pass”

コメント
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ちょっと前に、期末テストが終わりました!で、コメントすると、やはり当時、ジョージはまだ性格が丸くなっていないポールの事を憎んでいたのですね。ポールは今となっては丸くなったようで。そういう意味では、子供が生まれて角が丸くなってあまりたたないうちにあの世に逝ってしまったジョンが可哀想でなりません。ちなみに私は先日のジョンの命日には、彼の遺作のダブル・ファンタジーをヨーコの曲含め、聴きまくりました。名盤であるのは言うまでもありませんが、アルバムのラスト・ナンバーのHard Times A Overを聴いた時には、恥ずかしながら男のくせに思わず涙腺が緩みそうになりました。

2008-12-17 22:40 │ from RemainURL Edit

Remainさん

コメントありがとうございます。
ポールとジョージは学生時代に2人でヒッチハイクの旅行に行ったというくらいですから、仲が良すぎるがゆえのいわば兄弟ゲンカのようなものだったのでしょうね。ポールも最近ジョージのことを“かわいい弟だった”と言っていましたっけ。
12月8日は、今年も胸が痛くて記事を書くことができませんでした。28年も前のことなのに・・・。合掌。

2008-12-18 22:00 │ from 管理人URL