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コステロ、ビートルズについて語る - Macca Go Go Go! ポール・マッカートニーファンブログ

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コステロ、ビートルズについて語る

真の意味でポールと共作を果たした数少ないアーティストの1人、エルヴィス・コステロが彼とビートルズについて語った文章をお届けする。この記事は2004年にローリングストーン誌に掲載されたものの抜粋である。(日本版が手元にないため、英語版を自分で翻訳した。あしからず。)

僕自身があまりエルヴィス・コステロのファンではないため、この文章を読むまでエルヴィスがリバプール生まれだとは全く知らなかった。彼はまさしくビートルズ現象をリアルタイムでティーンエイジャーとして、しかもビートルズ発祥の地で経験したという非常に貴重なアーティストなのである。とても興味深い歴史的事実だと思う。



最初にビートルズのことを聞いたのは9才のときだった。当時僕は休日のほとんどをマージーサイドで過ごしていて、地元の女の子が映りの悪い宣伝用写真を僕にくれたのだ。裏には彼らの名前が走り書きされていた。それはビートルズがアメリカに来る前、1962年か1963年の事だ。

面白いことに、リバプールの親たちや友人たちは皆この地元グループに興味を持ち、また彼らのことを誇りに思っていた。それ以前に北イングランドからショービジネスの世界に足を踏み入れた人々は、皆コメディアンばかりだったからだ。そんなわけで、ビートルズもパーロフォンというコメディ・レーベルでレコーディングをしている。

僕はビートルズに身も心も奪われてしまうような年令だった。ありとあらゆる彼らの写真を集め、シングルやEP盤を買うお金を貯め、地元のニュースで彼らの情報を収集した。そんな僕の体験は、その後世界中で繰り返し再体験されることになる。これほどの大きなスケールで、このような事が起こったことはそれまでに一度もなかった。しかし、それは数がどうのという話ではない。マイケル・ジャクソンのレコードは世の終わりまで売れ続けるだろう。だが、彼がかつてのビートルズほど、人々にとって重要な意味を持つことはことは決してないだろう。

発売されたレコードのどれもがショックだった。過激なR&B伝道者のローリングストーンズと比較しても、ビートルズのサウンドはそれまで全く聴いたことがないものだった。彼らはバディ・ホリーや、エヴァリー・ブラザーズ、チャック・ベリーなどをすでに吸収しており、その上自分たちで曲を作っていた。彼らにとって自分たちのために曲を書くことは例外ではなく、ごく当たり前のことなのだった。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーは桁外れの作曲家だった。マッカートニーは以前も、そして今も真の巨匠である。ジョージ・ハリスンはワイルドなギタリストではないし、思いがけないソロを弾くわけでもないが、彼の弾くフレーズはそのほとんどが口に出して歌いたくなるほどメロディアスである。最も重要なことは、彼のギターが曲のアレンジと完全にマッチしていたことだ。リンゴのドラムは信じられないほどユニークで、コピーさえままならない。腕ききのドラマーたちの多くが彼を真似ようと試みたが失敗に終わっている。そしてとりわけ、ジョンとポールはすばらしいシンガーである。

レノン、マッカートニー、ハリスンは作曲家として驚くべき高い水準を誇っている。“Ask Me Why”や、“Things We Said Today”をB面として発売することを想像してみてほしい。彼らは“Paperback Writer/Rain”、“Penny Lane/Strawberry Fields”といった素晴らしい作品をシングル盤だけでしか発売していない。それらはただ単にアルバムの発売を予告するものではなく、むしろ事件とさえいえるものだった。

僕はポール・マッカートニーと共に曲を書き、彼と2度コンサートで共演する機会に恵まれた。1999年、リンダ・マッカートニーが亡くなった少し後に、ポールはリンダのためにコンサートを開いた。クリッシー・ハインドが主催した追悼コンサートだ。僕がリッキー・ネルソンの歌にコーラスをつけていたとき、ポールが次にやる曲を告げた。“All My Loving”だ!僕は言った、「2番のハーモニーをつけてもいいですか?」彼は答えた、「いいとも、やってごらんよ。」そのパートをやるために、35年しか練習していなかったのに!それはとても感動的なパフォーマンスだった。数名のスタッフと出演者たちだけがその瞬間を目撃した。

実際のショーでは、状況は一変した。“Close your eyes, and I'll kiss you~”最初のフレーズを彼が口にした瞬間、観衆の強烈な反応が曲を完全にかき消してしまったのだ。それは非常にスリリングだったが、どちらかというと僕は面食らってしまったのだった。おそらくその瞬間、僕はビートルズが公演活動をやめた理由の一つを理解したのだと思う。ビートルズの曲はもはや彼らのものではなかった。それらは人々のものになっていた。
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